まとめ

【評論】なぜタンゴはためらっているのか?:音楽的特性そのものが描写に繋がる時(W.ボルコム、S.バーバー、F.ジェフスキの作品を中心に)

 

William Bolcom, Three Ghost Rags

ウィリアム・ボルコム(William Bolcom)の作品に、<3つのゴースト・ラグ>(1970)という曲が存在する。この作品はそれぞれ、<美しい幽霊のラグ(Graceful Ghost Rag)>、<ポルターガイスト(Poltergeist)>、そして<夢の影(Dream Shadows)>とタイトルがつけられている。ここで注目したいのは、何故「幽霊」と「ラグ(・タイム)」の組み合わせが可能だったか、ということだ。はじめに言っておくが、ここで私はウィリアム・ボルコムをとりまく幽霊への関心や、当時の経済状況や関心ごとに深く掘り下げるつもりは全くない。私はここで、この曲(ラグ・タイム)が「幽霊の表現」ではなく、むしろその逆である、「ラグが幽霊となった」と述べたい。

Pehr Henrik Nordgren, Miminashi-Hōichi, 1972

というのも、ラグが誕生する前にも幽霊を表現することが出来たからだ。メジャーなところで言うと、フランツ・リストの<鬼火>(<超絶技巧練習曲>より)、カミーユ・サン=サーンスの<死の舞踏>、モデスト・ムソルグスキーの<禿山の一夜>などが存在し、マヌエル・デ・ファリャのバレエ組曲<恋は魔術師>には<狐火の踊り>が含まれているように、ストーリーから幽霊というモチーフが反映され作曲されたものも存在する。その中で、特に<3つのゴースト・ラグ>における幽霊というテーマや演奏形態を念頭に置いた時、一番適切な例が、ペール・ヘンリク・ノルドグレン(Pehr Henrik Nordgren)のピアノ曲<小泉八雲の怪談によるバラード>(1972-77)ではないか。タイトルがそのまま示している通り、この作品は小泉八雲の「怪談」にインスピレーションを受けたものだ。しかし、聴けばわかるとおり、この曲とボルコムの作品にはテーマという関連性はあるものの、曲調はまったくもって異なる。言ってしまえば、ボルコムのこの曲の場合、先に存在するのはラグタイムであって、幽霊は「幽霊のように」あとから生まれている。

Samuel Barber, Hesitation-Tango

これは、同じくアメリカの作曲家、サミュエル・バーバー(Samuel Barber)の組曲、<思い出(Souvenirs)>(1953)の内の一曲<ためらいのタンゴ(Hesitation-Tango)>にも当てはまる。ボルコムの曲と同様に比較的聴きやすい曲調だが、ここではタンゴの曲調になっている。前述のファリャもそうだが、アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla)をはじめとした(クラシック音楽史における)ラテン系の音楽を聴いたとき感じるテンポは、バーバーの曲では「ためらう」という修飾詞がつけられる。この状況は、先に述べたボルコムの場合と比べる事が出来る。バーバーのこの曲の場合、「なぜタンゴはためらっているのか?」という質問に、そういう人を見たから、という答えの代わりに「タンゴだからためらっている」という答えが出せる。しかし、だからといって、これはタンゴの全てはためらっているというふうに逆戻りすることはできない。というのも、数あるタンゴの特性のうちの一つとして、ためらいがあるからだ。

Frederic Rzewski, Winnsboro Cotton Mill Blues 28:32から

ボルコムの幽霊が死んではいないラグから生まれ、バーバーのタンゴからは躊躇いが生まれた。曲の雰囲気、言わば音楽的特性そのものが、幽霊やためらうという表現に繋がる一方で、同じアメリカの作曲家フレデリック・ジェフスキ(Frederic Rzewski)の<Winnsboro Cotton Mill Blues>(1979)を聞くと、ブルースという音楽的特性が、一種の共謀関係としてあらわれている。というのも、この曲の冒頭から耳にした時、ブルースという印象とは裏腹に、機械的な曲調が続くからである。実際に楽譜を見ると、「Expressionless, machinelike」という指示が出されていて、トーンクラスターと一定のテンポが続いている。そしてしばらくして、機械的に繰り返される音の中に、ブルースのテンポが聞こえ、中盤に差し掛かると、比較的自由なメロディラインが聴こえてくる。ブルースが労働歌から生まれた点を考えれば、つまりこの曲はブルースそのものだけでなく、ブルースの背景まで描いているとい得るのではないか。つまり、先に述べた共謀関係とは、背景とモチーフ、つまり工場とブルースとの関係である。先にブルースがあったと言うより、(これは曲のはじまりにも当てはまるように)先に工場があったのだ。この点で、ジェフスキはブルースそれそのものの価値としてではなく、曲調としても対照的な工場の機械音との関係が存在するということを表している。

(紺野優希)