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【連載】「VS, x, ft., edit, &」▷◢ ◤

VS, x, ft., edit, &

Aviciiに関する3つの断想。先日、Aviciiが亡くなった。若く、そしてリリース出来ていない多くの曲を残して、亡くなってしまった。ニュースに触れてからAviciiに、またAviciiの音楽について考えて、思ったことをここにまとめようと思う。

1. シルエットが徐々に明るみになると

2013年、それまでクラシック音楽、または現代音楽に関心のあった筆者は、この頃からようやく洋楽に触れはじめた。そこで聞いたのが<Levels>だった。ダンス・ミュージックに詳しくなかった筆者は、Aviciiというクリエーターをどのように位置づけできるのか、分からなかった。(サンプリングであることも知らずに)歌を歌っているのか?YouTubeの動画に出てきているのがAviciiなのか、Aviciiとは何をしている人なのか?今となっては答え―完璧ではないが―は出ているものの、当時としてはこのミュージック・プロデューサーの位相に目を向けることが、とても私にとっては新鮮だった。<Slhouettes>の一場面に出てくるAviciiの姿は、それこそ表舞台に出てこれなかったプロデューサーが画面へ登場したと言える。輪郭しかつかめなかった、それこそ真っ黒だったプロデューサーは、一瞬ではあるが登場している。

2. <Wake Me Up!>を聴くと、<Seek Bromance>がより輝く

<Wake Me Up!>が大々的にヒットして、Aviciiのことをより多くの人が知るきっかけになったことには間違いない。そしてアルバム<True><Stories>、そして現在のところ最後のアルバムとなってしまった<AVĪCI (01)>にも多くの関心が注がれた。結果的にはオーケイだ、何故ならAviciiのことをより多くの人に知ってもらえたから。だが、<True>がそうであるように、Aviciiがフォークやポップ調の曲のみで知られることを筆者は憂慮している。何故なら、<Levels>や<Seek Bromance>、<All You Need is Love>、<Fade into Darkness>、またはArmin van Burrenの<Drowning>のRemix<Blessed>などを聴いて、このキラキラした―<Seek Bromance>の動画がそうであるように「オープンカーで走り去りたくなりような」―1曲に触れて欲しかった。しかし、このような憂慮を一抱えにしたまま、私は一方で、Aviciiが<True>を発表することで、一層過去の曲がキラキラ輝いているように感じられたのも事実だ。<Wake Me Up!>や、<Stories>に収録された<City Lights>、そして<AVĪCI (01)>に収録された<Without You>を聴くたびに、そこに少しばかりの過去の輝きが聴き取れると、より<Seek Bromance>が恋しくなった。

3. 何年経っても、Aviciiは聞こえる

不滅の名曲という表現が、ある程度ありきたりなものになってしまった。本としてもアルバムとしても、そして曲の紹介にも頻繁に用いられる単語として、不滅というキーワードが付け加えられる。音楽に不滅という言葉で飾るのは、カール・ニールセンの交響曲がその歴史にあって、という話題以上に、音楽の性質によるものだ。音楽は、流れてしまえば、絵画のような形に留めることが難しい。これは視覚芸術と聴覚芸術の違いであり、後者の限界、それが時間を共にしながらそっくりそのまま留められない。しかし、その流れを留められるものとして、CDが登場し、それらは例えである以上に「アルバム」、つまり消え去ってゆくもの―一方で記憶を、そして一方で音楽―を留められた。不滅は、音楽の流れゆく性質を拒む言葉として用いられた。しかし、また一方で音楽は流れゆく性質によって、不滅の可能性をそれ自体に備えてもいる。伝承される民謡は、記録されるものの物理的限界を超えたものだ。よって、音楽は不滅という言葉に助けを求める以前に、既に不滅の可能性を秘めているとも言える。それは今日、Remixという亜種変容の形で受け入れられる一方で、数十年後、誰かの鼻歌にAviciiを聴くのである。そこに、かつてない歴史的な中断がない限り、Aviciiの音楽は死なない。そこで彼の曲は無間地獄という名前のとおり、この世界で苦しみを受けながらも(潜在的にも)生き続けている。Aviciiのいない今でも―Without You。

(K4ø)