まとめ

【REVIEW】阿部共実:日々

〈死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々〉(以下〈死に日々〉)は現在2巻まで発売されており、そのほかに3作品がウェブ上でのみ現在公開されている。(2018年2月現在、第19話〈アルティメット佐々木274〉、第20話〈7291〉、第21話〈X大作戦〉http://tap.akitashoten.co.jp/comics/sinihibiより観覧可能。)これらの作品はショート・ストーリーの構成で、それぞれの話は異なる主人公―アルティメット佐々木の一連の話を除く―と異なるストーリーで描かれている。その長さもまちまちでおり、今回紹介する〈日々〉のように短いものも存在する。

http://tap.akitashoten.co.jp/comics/sinihibi

 

この作品は単行本の第2巻で紹介されており、その簡潔な作風には黒線の塗りつぶしや歪んだ輪郭線といった、阿部共実の技法的な表現性は表れない。よって、〈空が灰色だから〉で狂的な/狂的に魅力を感じた読者からしたら、些か物足りなさを感じさせるかもしれない。しかしながら、私は〈日々〉を読みながら、これもまた阿部共実の作品の魅力ではないかと考える。その魅力とは、我々の日常、つまり日々をそのまま切り取ったという点である。〈日々〉に登場する人物は関谷という女子中学生である。関谷はクラスメートと掃除をしているがその孤立した姿は位置的関係だけでなく、掃除の終わった報告を先生にしてという一方的なお願いをされる姿、そして苗字を間違えられる姿として表れる。下校途中の関谷の前に現れたのは、先ほど一緒に(というか「一緒の場所」で)掃除をしていた女の子たちが噂していた「こわい子」のマリカである。関谷は自販機のジュース代をせがむマリカの姿にはじめは怖がり泣いてしまう。マリカは関谷がお金を持っていないことを知ると、自販機の下をおもむろに覗き込む。すると500円玉が見つかり、マリカは関谷の分までジュースを買って差し伸べる。ジュースをもらったこと、そしてマリカが同じ鍵っ子だということを知り、二人は打ち解け、関谷は笑顔になる。一種の比喩の次元を超えて、鍵は関谷の心を開いた、重要なもの(キー)である。

この2人の姿は関谷がマリカと打ち解けることによって、とても仲良く描かれる。それは関谷の顔がクローズアップされる時に読者に伝わるだろう。関谷は笑顔で描かれ、その瞳にはマリカの姿が描かれているのが見て取れる。この後スーパーへ行き、500円のジュースを買った残りのお金で2人は菓子をほおばる。それは少ない金額ではあるが、彼女にとっては大きな喜びと恍惚感を与えている。その理由のひとつは、彼女と先ほどまで掃除当番だった子達と同じレベルに立てたということである。その子たちは話の中でスーパー(作中では「ジョスコ」)に行こうと話題に出す。マリカは彼女達の方向を見てはおらず、同じコマの中で一際大きく描かれた関谷の姿が、強調されながら自身の行為を彼女達に見せつけるかのように堂々と目を見開き誇らしげに映る。手にしたお菓子、それは500円という少ない額でも手にすることのできる、駄菓子のようなきっと安いものだろう。それでも帰り道にお店へ立ち寄るという行為が達成できたことで、クラスメートと同等の立場に関谷が立てたことが、彼女をそのように誇らしく映し出すのである。そしてもう一つの理由は、500円という一般的に言われる少ない額が、彼女に友達というなによりも大切な存在を与えたことである。輪に馴染めなかった一人の少女は、マリカと打ち解け友達になり、このことは先ほどのクラスメートの集団意識に立ち向かう条件として、500円が与えてくれたものだ。

鍵っ子の2人は、その後自動販売機の下を見て歩く。あちらこちらを探しまわり、少ない金額を見つけてはまた違う自販機を見てまわる。着ていた制服が汚れてしまっても、2人はやめない。私はこの漫画をウェブで公開されたときに読んだのだが、はじめはアップロードのミスかと思ってしまった。というのも、この話は彼女達が自販機の下をのぞきながら駆け歩くシーンで終わってしまうからである。わーわーという単調な台詞と、こちらに表情を見せないその姿は、最終回で夕日を前に読者へ背を向けるような凛々しさというより、突然話が途切れてしまった印象の方が強く感じられる。この表現はその後の彼女達の結末を肯定的にも否定的にも捉えさせない、いわば開かれた結末と言うことが出来よう。この突然たる断絶、いわば結末が現れていないこの作品は漫画という大きなフレームの中に起承転結を描いているわけではなく、そのストーリーの断片のみを捉えている訳である。

これは私たちの日々とも似ている。私たちの一日は朝から夜へうつろう時間はあるものの、私たちの一日はストーリーの完結ではない。それは時間の流れに沿った一日の流れにだけに過ぎない。朝から夜までに起承転結が起こるわけではなく、至って断片的である。楽しく食事をして、つまらないテレビ番組を見て、お風呂で何も考えずに、暫くして床につく。この漫画は、そのタイトルが示すように「日々」という特別さを感じさせない、普通すぎて認識すらできない些細な一場面をフォーカスしている。まるでフィルムやバッテリーが切れてしまったかのように、この漫画はいきなり終わっている。この短さとふと切れた結末は、レイモンド・カーヴァー(Raymond Carver)の作品、〈でぶ〉(1970)を連想させる。〈でぶ〉ではある女性の語り口が話しの最後まで続いているが、〈ささやかだけれど 大切なこと〉のような一種の希望的な展望が見受けられないまま、話は終わってしまう。それは終わっていないということ感じさせるくらいに、ふとした拍子に途切れている。タイトルと関連付けるのであれば、ボリス・ヴィアン(Boris Vian)の小説〈日々の泡〉(1947)と比べられるかもしれない。しかしながら、〈日々の泡〉では幻想的な場面ごとが、なんら可笑しくないように話が進められるのに対し、〈日々〉ではそのような夢想的なイメージは存在しない。それでも彼女二人の姿が美しく見えるのは、その輝くもの―鍵、500円玉、飴―が決して高いものではないからである。そしてまた、彼女達が時には儚く見えるのは、その一瞬で切れるコマのせいである。もしくは、シンデレラのような逆転劇ではなく、同じ鍵っ子という境遇を共有し、その置かれた環境で、僅かに手に握られる慰めを手にする。鍵は彼女らにとって、孤独の象徴であった。家に帰っても親の居ない環境、しかし逆説的にも彼女2人を結びつけるものとなった。

(K4ø)

 

 

 

死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々 2 (少年チャンピオンコミックス・タップ!)