個展

【REVIEW】平らな世界をうろつく:キム・フィチョン〈HOME〉(김희천, Heecheon Kim)

ソウルのドゥサン・ギャラリー(두산갤러리, Doosan Gallery)にて昨年11月29日から12月23日まで、映像作家キム・フィチョン(김희천, Heecheon Kim)の新作〈HOME〉が紹介された。この作品でアーティストは何を表そうとしたのか、それを述べてみたいと思う。

1. 迷ってしまうのは主人公だけ?

(提供:Doosan Gallery)

探偵もののアニメを見るとき、知らず知らずの内に私も探偵のような気分になっては、どこか緊張が漂う。証拠を見つけた後、場所を変えながら当の人物を追いかけるシーン、そこで見るものは緊張がクライマックスに達する。しかし、もし追跡を続けたのにも関わらず、最後まで捕まえられないまま結末を迎えてしまうと、どんな気分だろう?このとき探偵(の視線を共にする鑑賞者)は、自分の役目を果せないまま、ストーリーの中に閉じ込められてしまう。昨年ドゥサン・ギャラリー(두산갤러리, Doosan Gallery)で紹介されたキム・フィチョン(김희천, Heecheon Kim)の映像作品、〈HOME〉も同様である。この作品は想像のアニメ「ホーム」の登場人物である少女探偵「エリカ」、アニメの聖地を巡礼するファンの姿が映し出され、この2人に加え、鑑賞者までもが探偵の眼差しで人を追いかける。エリカはおじいちゃんを追いかけ、語り手であるファンはエリカのいた場所を巡礼し、観る者は互いに絡み合うストーリーを追いかける。ここで、作品に映し出される登場人物も道を途中で迷ってしまうだけでなく、鑑賞者もまた作品の中で迷い込んでしまう点が特徴的だ。観客は[{‘おじいちゃんを探すエリカ’が映し出されるアニメ}を逆追跡するファン]を追うことで、この作品の中で一番彷徨う存在と言える。加えて、このアニメは想像と現実までもがミックスされている。アニメの「ホーム」は実際には存在しないアニメだが、だからといって、それぞれのシーンに映し出される背景が虚構/想像とは言い切れない。それらのシーンを見ると、ソウルの様々な地域を同じ様に描写してはおり、テクニックの面では現実に忠実であるが、一方で極度に美化されて映されてもいる。

2. 実在とウソの混沌

疑惑の家のシーン(提供:Doosan Gallery)

このように、作品〈HOME〉は時間の軸と想像・仮想―つまりはウソ―と現実が混ざり合うことで、幾つものレイヤーに分けられる。これは語り手であるファンが作中、「疑惑の家」と呼ばれる場所を訪れた時によりはっきりと現れるだろう。ひとつの画面には、実際にその家のあるサムソンドンで記録された映像、アニメのキャプチャ、そしてテレビ番組のようにみえるカットが同時に当時に現れる。このとき、どれをとっても虚構、もしくは本物と区別・断定することが難しい。人物とストーリーを追いかける難しさに加え、時空間の軸、そして想像・仮想と現実を分けて考えることの難しさによって、観客を作品の中へ閉じこめ、迷わせている。このとき起こる観客の混乱は、現実とウソとの「対立」ではなく、現実とウソの「均衡」、つまり二つの概念における優位や格の差が失われ、水平に並べられた「混沌(chaos)」の状態によるものである。よって、観る者は話を追うこと自体には気をめぐらせなければいけないことは確かであるが、(むしろ)現実とウソがあまりにも混乱した状態で現れるため、どのシーンをとっても偽物とも本物とも隔てて分ける必要がなくなってしまう。ファンの台詞にもあるように「現実の世界ととても近い」。これはアニメに対してだけでなく、現実がアニメにも似ているという状況である。水平上に並べられ、互いの差が段々と狭められ、どれがウソで現実かと断言することが出来ない状況になってしまっている。これらフレームの中の内容と表現、それらは決して元のものより劣っているということを意味せず、視覚的な違いとしてだけ現れる。

3. 夢見る時代から、夢のような暮らしへ

疑惑の家のシーン(提供:Doosan Gallery)

このように、視覚的にも伝わる混沌は、作品の内側だけでなく、鑑賞者にまでも―そして、より直接的に―経験できる。最後のほうのシーンを見ると、例の疑惑の家の内部が映し出される。このシーンは比較的長く映像が流れるのだが、これが実際の家の中に入ったものなのか、もしくは3Dの映像なのか、またファンが実際に家の中に入ったものなのかも、はっきりと描かれていない。エリカがそうであったように、「眠くなる設定」によって、ファンもまたワープしてしまったのかとも思えるが、真相ははっきりとしない。ここでは夢なのか現実なのか、はっきりと描かれない。これは何もロマンチック・バレエで描かれたような夢と現実のミックスされた場面が、如何にして今日、科学技術の発展によって、我々の生活とより密接になったかを描いているのではないか。〈ジゼル〉の第二幕で主人公が死の世界を彷徨いながらも、生き別れとなってしまった女性を「夢見る」時代、それから時が経ち、今日においてはテクノロジーの発展によって、想像・仮想と実際の対立は磨耗してしまった。ほぼ意識ははっきりしていながらも、現実と仮想の区別は曖昧となり、物理的空間と非物理的空間の違いが瓦解している。この水平な関係は、展示会場で海外にいる友達から連絡を受け、わざわざ作品を観に行かなくとも、情報の海という混沌の中で、画像や動画を探せるようになった。映像で描かれたエリカとファンの姿、それはスクリーンの内側だけでなく外部に存在する観客の姿とも言える。エリカの「点、位置として残された」という台詞は―ポール・ヴィリリオが言及するように―実在の空間が速度によって消え、様々なメディアによって瞬間(点)として現前するようになった、現代人の姿を映しているのではないか。〈HOME〉はその単語のイメージ、つまり居続ける場所というよりかは、立ち去り、また戻ってくることを繰り返す、電車のホームにより近い。観客は皆展示会場から抜け出て(も)、平坦となった時空間をうろつく。その姿は―エリカのアニメに描かれているように―野営の地で旗のようにテントを振っても、もうヘリコプターが助けに来てくれない、閉じ込められてしまった、探偵の最後の姿なのかもしれない。

原文:평평한 세계 돌아다니기 (콘노 유키)

(K4ø)

Doosan Art Centerhttps://www.doosanartcenter.com/en/

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