映像

【REVIEW】スクリーンの内と外で聞こえる脈拍:ダグラス・ゴードン〈ヤヌースの肖像(分断国家)〉

Douglas Gordon

今年の冬、アートソンジェセンター(아트선재센터)で公開された、ダグラス・ゴードンの映像作品〈分断国家〉。代表作の〈24 Hours Psycho〉(1993)から、〈ジダン 神が愛した男〉(2006)など近年のポートレートまで映像作品を追求してきたゴードンが、今回「分断国家」という副題の下にあるひとりの人物を照らす。

 

1.ダグラス・ゴードン〈ヤヌースの肖像(分断国家)〉

今年制作されたダグラス・ゴードンの映像作品、〈ヤヌースの肖像(分断国家)〉が11月28日から12月10日まで、ソウルにある美術館、アートソンジェセンターで公開された。タイトルの「ヤヌース」とは、韓国系の男性「ヤヌース・フン・ジャン」の名前からとったものである。この映像では、DMZの境界線がタトゥーで彫られるシーンが確認できる。彫られているのは主人公であるヤヌースと思われるが、この映像では顔が一回も現れずに、観る者は顔の替わりに背中を見つめることになる。タイトルの「肖像」という言葉とは異なり、顔だけでなく背丈や体格までも確かめることが出来ず、スクリーンに映し出される人物とはある程度の距離感が感じられる。しかし、この作品における距離感は、むしろ登場人物と実質的に離れていることを表しているとも言える。

構成面で見ると、この作品は大きく二つに分けられる。二つに共通する点として、裸の男性の背中を見せている点がそうである。はじめのシーンでは、裸の状態にラップのような透明なビニールにまかれた人物が登場し、ふたつめのシーンではタトゥーが彫られるシーンが確認できる。二つのシーンは共に台詞も伴わず、説明も伴わない。そのシーンごとに共通して表れる「背中」というモチーフや、シンプルな行動によって、具体的な説明を必要としないのではないかとも言えるだろう。二つのシーンでは背中をずっと映していて、いきなり他のモチーフにカメラが動いたり、また他の場面が挿入されることが無いため、比較的カメラワークと映像の流れが安定している。

 

 

2.見えないものと見えるもの:ブラック・スクリーン

しかしこの二つのシーンだけでなく、重要なシーンがある。それはその二つのシーンを繋げるブラック・スクリーンだ。なにも映っていないこのシーンは、二つのシーンの間だけでなく映像の導入部、そして終結部に見出される。この何れのシーンもスティルカット(still cut)としてカタログに載ってしまった際には、この作品の魅力をまともに伝えることが難しい、それくらい重要なシーンだと私は考える。この真っ暗なスクリーンを見て、観る者は視覚的に何も捉えることができない。しかしながら、ゴードンはその真っ暗/真っ黒なスクリーンにある存在を表現している。それは、音によって表現されている。導入部において、音の正体はブラック・スクリーンに現れなくても、一定のパターンで繰り返し聞こえることで、ある種のバイタリティとして観る者の耳に伝えられる。よって、視覚的に伝えられなくても、スクリーンを観て何かしらの存在を想像できる。

この正体不明の音は、スクリーン上のシーンが明るくなったとき、それが主人公の出す息遣いということに気付くことができる。登場する男性はじっと背中だけをこちらに見せ、表情を見せることはない。ここで主人公は観客だけでなく、自分の背中にタトゥーがどのように彫られるか確かめることが出来ない。タトゥーが彫られることに不安を覚えるからか、もしくは自らが見ることの出来ない光景が、誰かに見られているのではないかという緊張感からか、そしてより根本的には、主人公がどんなものとも目線の交換ができないからか、台詞の替わりに聞こえる息遣いは、言葉で表現されない主人公の感情を表しているようだ。この息遣いは、スクリーンが明るくなるにつれて、また違った形でバイタリティを観る者に伝える。身体にまかれた透明のビニールは、息遣いによって少しだけ浮き上がり、また息遣いにあわせてしぼむ。導入部で聴覚的に聞こえていた運動・微動(感)は、視覚的に、そしてより本質的にはある人物の脈拍として表れることで、触覚的に感じ取れるようになる。

 

 

3.微動だにしない姿と微動:サウンドとカメラワークの揺れ

第一の場面が終わると、またスクリーンは暗くなる。そして今度は息遣いとは少し違う音が聞こえてくる。息遣いを聞いて、人間の雰囲気を感じ取ることが出来たのであれば、ここで聞こえてくる音は、メカニックなサウンドである。まるで工場の機械音や電子音楽を演奏でもしているかのように、ここではサウンドに近いものを聞こえてくる。スクリーンが明るくなって映し出されるのは、先ほどの人物の背中と思われるものと、その背中にタトゥーを彫る人の手と機械である。ブラック・スクリーンのときから聞こえていたサウンドに、タトゥーを彫る機械が背中に触れるとき、それに似た、少し重厚なサウンドが加えられる。しかし、息遣いとは異なり、ここで聞こえるサウンドが果たして実際に聞こえるものなのかそうでないのか、判別するのは難しい。聞いてみると、このサウンドの正体が現場の機械の音のように思うかもしれないが、よくよく聞いてみると、弦楽器を弾いたときの音であることに気が付くだろう。説明によると、この音はイ・オッキョン(이옥경)が演奏したチェロの音である。しかし、この事実を知ったとしても、スクリーンに映し出された場面で聞こえる機械音なのか、または編集過程で加えられた音なのかは、判別することが難しい。人の声のトーンに近いと言われるチェロの音は、弓の素早い動きと増幅された音のせいか、ここでは悲鳴、または呻き声に聞こえもする。このとき、徐々に増幅される音と微動だにしない人物の対照的な姿を見ることができる。映し出された背中は、タトゥーを彫ってゆく手にそってカメラで映され、時折、彫られた箇所から血が流れ出す。説明にあるように、タトゥーはここでDMZの境界線を彫ってゆく。それは身体に綺麗な絵やイメージを彫ってもらうのとは異なり、ひとつの身体に亀裂が走ったように見えてしまう。これによって、ある美的な価値のために己の身体を犠牲にし、それには苦痛が伴うのとは違い、映像では一方的に拷問を受けているかのように見えてしまう。主人公が、自分の眼で自分の背中を見ることができないことによって、この状況は観客にとって、ずっと見続けるほかない立場をより困窮したものへと陥れる。

第1の場面とは異なり、この場面では、微動だにしない男性の状態は徐々に時間が経つにつれてカメラの焦点が定まらなくなり、それに加えタトゥーを彫る機械の音が高まり、最終的に映像で視覚と聴覚的表現が合わさることでバイタリティとして表される。タトゥーを彫る手を捉えていたカメラは、終盤に差し掛かるとフレームが揺れ、焦点が行ったり来たりし、サウンドはパルスとして聞こえ、徐々に高まっていく。この動き・躍動感は、考え方によっては主人公の心理状態とも言えるだろう。じっとしたままの背中を見たとき、なんら問題がないように思えても、線を彫っていくときに血が流れ、自分の背中で何が起こっているか見れないままの心理状態を表している。微動だにしない後姿から、微動をキャッチし視覚的に伝える重要なモチーフが、第1の場面では巻かれたビニール、そして第2の場面では流れ出す血ではないか。

 

 

4.二つの空間を結びつける:脈拍(パルス)

この映像作品で見る者は、主人公の顔を見ることができないが、それでも主人公の置かれた状況をある程度共有できる。サウンドと映像を体験することで伝わる震え、繰り返す動作、そして高潮は、終盤でカメラの捉えた視線とサウンド、そして見る側の心理状態を主人公へて結びつける。スクリーンに現れる人物のみにこれらが当てはまる訳ではなく、観客はむしろ、タトゥーが彫られる様子を黙って見ることしかできない立場、すなわちこの可視性によって脈拍が高まってゆく。このように、見えないものへの不安と見ることが許されている/見ることしかできないがゆえ、観客は焦りを覚え、互いを見つめてコミュニケーションが取れないため、不安に駆られる。どんな表現もなされないまま血を流す主人公の姿を見ても、観客は観客席に座っていることしかできず、不安を覚えてしまう。だからといって、ゴードンの作品は観客と映像の人物を、ふたつの空間で分けた状態のままにするわけではない。互いの空間を繋げてくれるのは、脈拍、そのスクリーンの内と外とで分かれた立場の狭間で揺れ動く、緊張感でありバイタリティである、それが重要なポイントではないか。

 

(editor K4ø)