写真

【評論】写真の圧縮と膨張:圧縮と膨張(CO/EX) (압축과 팽창)

今日における写真の存在とはどのようなものなのか?写真は物理的な連帯意識から離れ、データとプリント・アウトという、より自由なものになった。圧縮と膨張(CO/EX)の作品を分析しながら、キーワード、そしてデータによる液状化された写真の概念について考えていく。

 

*한글 번역본이 나왔습니다 → 사진의 압축과 팽창: 압축과 팽창

1. 所有と共有:写真の概念化とシンプルな撮影-行為

「スマートフォンで写真を撮る」という表現は、今日にさほどおかしい表現ではない。カメラに与えられていた類型学的な形は、機械へ単純に付け加えられた搭載機能からアプリケーションという同一間隔の内のひとつとしてひとつの画面上に表れる様になった。今日、それまでの「カメラで写真を撮る」という表現が秘めていた連帯意識―「カメラ-フィルムに‐焼き付ける行為」―がパートごとに分かれるようになってしまった。そのキーワードごとに生まれた弛緩―「カメラで/写真を/撮る」―は、スマートフォンの例がそうであるように、(結果物である)写真は文字通りにフレキシブルな存在になる。データで保存されるため、プリント・アウトの対象が幅広くなる。フィルムに定められた枚数は、データ保存の容量を見て残りの枚数を確認できるようになった。そしてデータそのものは共有のスピードも加速させる。焼き増しをしている時間は、コピー&ペースト、そして共有サイトといったプラットフォームの整備によってほとんど瞬時に行われるようになった。今日において、「写真を撮る」という言葉はその行為・アクションという、より本質的なものに近づいている。「何を撮るか」、また「なにで撮るか」といった問題だけでなく、「何に記録されるか」という問題は、撮影行為が指の動作というより根本的な行為に現れる。

JR, Women Are Heroes, Action dans la Favela Morro da Providência, Arbre, Lune, Horizontale, Rio de Janeiro, 2008JR, Women Are Heroes, Action dans la Favela Morro da Providência, Arbre, Lune, Horizontale, Rio de Janeiro, 2008

 

Jon Rafman, from 9-Eyes, ongoing (http://9-eyes.com/)Jon Rafman, from 9-Eyes, ongoing

2. 第1の圧縮と膨張:キーワード

 

物理的な所有が共有という方法へと代わりながら、「何に記録されるか」という問題は新たな解釈を生み出すだろう。つまり「何に」とは単に物質的なものだけではなく、一種のプラットフォームに記録される場合も含まれている。印刷用紙だけでなく、それがどこに共有されているのか、つまりレコード(record)とアーカイヴ(archive)の両者が見出されるわけである。今日における写真は、この両者をどちらからもアプローチすること(レコード→アーカイヴ、アーカイヴ→レコード)が可能になった。後者の場合、物理的な結果物の可能性はより広げられていて、この点でアーティスト・デュオの圧縮と膨張(압축과 팽창)(CO/EX)の展示《ハニー&ティップ》は大変興味深かった。

圧縮と膨張(CO/EX)は韓国人アーティスト、アン・チョロン(안초롱)とキム・ジュウォン(김주원)によるユニットである。昨年に韓国のNOWHEREで行われた展示の名前をそのままデュオ名とし、今年アーカイブ・ボムにて《ハニー&ティップ》が開かれた。この展示では、大量の写真をテーマに沿って「キーワードを入力-選択-購入-プリントアウト‐活用している(イ・サンヨプ 이상엽)」。ここで写真は撮るものではなくなっている。今回は展示のパート1にあたる「ハニー」を中心に分析を行いたい。「ハニー」ではシャッター・ストック(Shutterstock)という共有サイトにキーワードを打ち込んだものが様々な結果物としてプリント・アウト―むしろアウト・プットに近いだろう―され、並べられている。ここで彼らのユニット名と関連付けて分析を行うと、第1の圧縮と膨張が感じ取れる。それは先ず、キーワードにおけるものだ。

ここではハニーという言葉をはじめ、キーワードによって検索結果に表示された典型的(typical)なイメージとして作品が展示されている。ここでキーワードは、実際に多くの検索結果を抱え込んでいる。シャッター・ストックの検索欄にハニー(honey)という単語を打つと、数え切れないほど多くのイメージが現れる。典型的なものはこのように、典型的ではないものの関連が無いとは言い切れないものを抱え込んでいる。それらを辿っていくとキーワードは徐々に内破(implosion)していることが分かる。関連の「有無」ではなく、関連の「薄さ」、つまりその濃度によって一つのキーワードはより―それこそ―「幅広く」イメージを確認できる。それは単に比喩や隠喩の次元の留まらず、より膨大なイメージとして表されている。第1の圧縮と膨張、それはキーワードによる/キーワードのもと(下)に圧縮された状態であり、膨張はキーワードの下に置かれた内部分裂による症状である。外傷は見受けられないのにも関わらず、内部では平気な部位と病原菌にやられた部位があるのと同じように、そこにはより多くの多義性が診察結果として表れる。よって、ここで作品化された対象は、その下へ幾つもの多様性を代表している、典型としてあらわれる。このように「ハニー」で概念の典型-化が目撃できるのに対し、2018年に開催されたグループ展《PHANTOM ARM》において鑑賞者はイメージの類型学的な結果物を目の当たりにする。足とサーモンは言語と概念ともに似通っていないが、視覚的な類似性として表れる。よってここでは「概念的な内破」も、また《ハニー&ティップ》で展示されたように、その多様性の代表するイメージでもなく、今日イメージ(画像)で検索が出来るようになって表れた、「イメージの内破」を見せている。(2018年 6月15日 追記)]

キム・ジュウォンXアン・チョロン《圧縮と膨張》(NOWHERE, 2016)キム・ジュウォンXアン・チョロン《圧縮と膨張》(NOWHERE, 2016)

3. 第2の圧縮と膨張:固体-写真と写真-液状

Philip-Lorca DiCorcia, Thousand, 2007 (David Zwirner Gallery)Philip-Lorca DiCorcia, Thousand, 2007 (David Zwirner Gallery)

 

圧縮と膨張 (CO/EX) HONEY, Photo Print Customized Acrylic Block B圧縮と膨張 (CO/EX) HONEY, Photo Print Customized Acrylic Block B

 

今年趣味家(취미가)で行われた展示《趣味官》で、彼らの作品はガラスのショーウィンドーの中に置かれていた。それはまるで記念品のようにガラスの中に圧縮されている。今ではもう概念的にその存在意義を確立させている写真(というもの)を物理的に停泊させている点で、これは概念から物理的存在への「圧縮」である。だが裏を返せば、これはもう反対の意味で圧縮ではなく「膨張」である。写真という概念の自体の膨張、それはそれまでの写真が秘めていた物質性からの隔離である。ポラロイドやフィルム、印刷用紙は、写真というもののアイデンティティを(ベースとして)支えていた。しかしデータとしての保管が容易になり、それに伴い何に印刷するかという物質の選択肢の幅が広がった。ここでは固体としての写真になることもできる選択、つまり可能性が、今日写真がデータという液状の存在になったからこそ初めて与えられるようになった。

今日において写真は何を写すかだけでなく、公共空間におけるJRの作品や、スクリーン・ショットでウェブ上に残されたジョン・ラフマン(Jon Rafman)の作品など、そのサイズとどんなものにプリント・アウトするかにまで芸術家たちは考えをめぐらしている。そして今日、彼らの作品を見ると既にそれまでの写真という概念が表現「行為」に近くなっていることをよく表している。ロザリンド・クラウス(Rosalind E. Krauss)が『北海航行――ポストメディウム的条件の時代における芸術』でコンセプチュアル・アートを分析しながら、それが写真というものをメディウム(medium)に変えたと言っているように、彼らはメディウムとして写真を用いている。ジョセフ・コスース(Joseph Kosuth)の作品に含まれているのは、写真作品ではなく「写真を介した」辞典的なスコップの定義である。それはもはやプリント・アウトという、よりシンプルな行為に近いだろう。

圧縮と膨張はそのシンプルな行為、つまりより概念的な存在としての写真が様々なものにプリント・アウトできることを見せている。昨年NOWHEREで行われた展示で批評家のイ・ギウォン(이기원)が述べたように、「今日写真は表面だけでなく、写真を取り巻くすべてのものと関わっている。」続く彼の分析とはいくらか異なる形で、私は彼らのユニット名から作品、特に《ハニー&ティップ》内「ハニー」の展示と趣味家で出品された作品について分析を試みた。彼らの作品は2種類の圧縮と膨張を抱えている。ひとつはキーワード、そしてもうひとつは写真という概念の内破である。フィリップ=ロルカ・ディコルシア(Philip-Lorca DiCorcia)の〈Thousand〉(2007)では演出と事実、そして見る人の解釈とアーティストの意思との間にそれぞれの揺れを[表現されたイメージの中においてのみ]感じ取れるのに対し、趣味家に展示された彼らの作品は、単に爆発(explosion)を見せているわけではないのだ。[その固定された形にある対象を停泊させることで、固体化させた写真。それと、その結果物がデータで保存されたあと、色々な方法で物質化/非物質化も可能となった写真-液体を見せているのだ。この二つの視線が交わるポイント、そこへ「今日において写真とは何を示すのか」という根本的な質問が浮き彫りにされる。]

(editor K4ø)

 

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