「VS, x, ft., edit, &」▷未確認音楽:IDの文化

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1. 曲の名は?「その曲」

知っている曲が流れる。あの曲ね、と私は言う。しかし、知らない曲が流れたとき、私たちはその曲を「その曲」という単語そのもので言うようになる。DJがラジオやポッドキャスト、またはライブで流す曲の中に、未発表音源が含まれることがしばしばある。その場はプロモーションの場となり、聞く人々は―DJがニュー・トラック、ニュー・シングルと紹介することもあるが―その曲のプロデューサー、トラックの名前、正確なリリース日を気にするようになる。知っている曲を「あの曲」と言うこととは違い、その指示代名詞には、まだ何も与えられていない。「あの曲」や「あれ」、もしくは「それ」としか言うことの出来ない、いわば見つけたての未確認生物のような存在である。その段階から徐々に「速いテンポで」「サウンドが独特で」「まるで○○のような・・・」と描写される。名前も、親なる存在もはっきりしないこの場合、曲は一層神秘的な存在として感じられる。まだ世間に知られていない、まだ確認すらはっきりされていない曲の存在、それは未確認生物が確認された瞬間のような、神秘的なオーラをまとっている。そして人々は少ない資料を頼りに、その新曲に名前を与えようとする。歌詞、プロデューサーがSNS上でした発言などを素早くキャッチし、その曲を「その曲」から「○○○」と言おうと試みる。

このように、気になる存在に名前をつけるのは、まるであだ名をつける心理にも似ている。皆気になって、気になってしょうがないのだ。しかし、それの正式な名前は知らない。近所で有名な変なおじさんの本名は知らない、だからその特徴や言動から名前を皆の共通認識に繋がるよう「与える」。暫定的にも名前をつけ、それが指示対象とマッチすれば、流通するのである。例えば、Mike Williamsがかつてから非公式に発表している曲は、「Here We Go Again」という歌詞のせいもあって、そのように名前も暫定的に与えられもする。そして、その公式な親は、曲調やライブやラジオなどの発表の場からしてMike Williams、そしてこれまた曲の雰囲気からJustin Myloとのコラボではないかとも推測されている。しかし、本当のことは判らないのである。それはプロデューサーにとってもそうである。タイトルに先んずるのは曲の方なのである。おそらくMartin Garrixが昨年公開した〈Pizza〉も、はじめからピザのような曲を作ろうと意気込んだ訳ではないだろう。タイトルはその曲をその曲たらしめるものであるが、必ずしもタイトルが曲自体と同等の印象を与えるとは限らない。曲の存在を認めるには、名前を必要とするのである。そうでもしなければ、その曲は広まることも、広めることも出来ない。逆に言えば、名前を与えられてから、曲は多くの人の目(耳?)に付き曲として広まるのである。

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