「VS, x, ft., edit, &」▷宇宙は私たちのもの

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1. 明けましておめでとうございます―過去形ではない

明けましておめでとう、と遠くの人に挨拶をするときに生まれていた時差は、パソコンの画面やスマホの画面、より根本的に言ってしまえば、インターネットの発達で極端に短くなった。自分たち、つまりメッセージを伝達する立場にいる人々がどうしようも出来ない領域、つまり手紙を仕分ける、手紙を運ぶ、手紙を渡すという細々とした過程を除いて、画面の前で瞬時にお互いが繋がる時代になった。手紙が届くまで、そして相手が書いてよこしてくれるまでの時間はおろか、物理的な距離といった障壁までも克服でき、コミュニケーションが出来るようになった。ポール・ヴィリリオ(Paul Virilio)が述べているように、20世紀において衝撃的だった発明は、電話だったのかもしれない。遠くの方から私の名前を呼ぶ声が聞こえるときに開いた耳、つまり聴覚は、遠くの「方」ではなく今「目の前で」私のことを呼んでいるのだ。

テクノロジーの発達は―今日に至って頻繁に引用されるようになったマーシャル・マクルーハン(Marshall McLuhan)の―「地球村」という状況を作り上げた。ここで私が「状況」と述べたのは、過去も今とほとんど変わらないまま地球上の大陸や国家は存在していたにも関わらず、それらがコネクションを持ち、かつその交流をスピード・アップさせた点にあると考えるからだ。〈午後の曳航〉で登は竜二を待たなくてはいけなかった。しかし今日ではどうだろう?悲観に暮れろと言うつもりはないが、いざとなったら、いや、いざとならなくても「思い出話」ではなく「今の姿」が伝えられることが出来るだろう。国同士の貿易に限らず、映像を通して伝えられる世界の奥地や、最新のニュースで紹介される紛争の様子、これらはテレビやインターネットを通じて、なにもその分野に携わるエキスパートでなくても、その情報を知る時代になった。実際に現地に行ったことが無いにも関わらず、私たちはアフリカに住んでいる人々に、同情の眼差しを投げかけている。何故か?学校で人を愛する気持ちを教わるからではない。そのように我々の眼に届けられるようになったからである。

2. 独りじゃないよ―画面と向き合っている間は

Alan Walker, Alone, 2017

コミュニケーションをとるということは、テレビやラジオとは異なり、インターネットならではの環境だろう。テレビやラジオで可能なのは、基本的に共有である。ニュース速報を聞いたり、野球の結果、または道路交通情報など、情報の共有が優先順位では上にたっている。お手紙コーナーやボタンを押してクイズに答える機能が近年に至って増えてきてはいるが、これらはフィードバックとして必ずしも帰ってくるものではない。しかし、インターネット、特にSNSの場合、その度合いがより頻繁と言えるのではないか。つまり、SNSの環境において、情報の共有という一方向の発信だけでなく、フィードバックを求めているユーザーも存在する。可愛い服を買ったのなら、家にいる妹だけでなく、もっと多くの人に見せたがる。そこでユーザーが反応を期待してしまうのは、SNSでしていることと現実でしていることが変わらないからである。つまり、反応が無いと、無視されたように思ってしまうのだ。

しかし無視をされたところで、インターネットの可能性は減るものでも消え去るものでもなんでもない。何故なら、多くの人の連絡先が存在するだけでなく、リアルタイムで人と連絡することができるからだ。一人が無視を決め込んだところで、ほかの人は快く受け答えしてくれる環境、それがインターネットの環境であり、テレビやラジオには求められない条件ではないか。Alan Walkerのヒット曲〈Alone〉が根本的な意味では人間は「独り」かもしれないが、その条件から抜け出せる可能性が、SNSなどの環境に見出すことができる。「独りではない」と自分に言い聞かせなくても、周りにコミュニケーションが取れる、もしくはしてくれる人は多いのである。スマートフォンを片手に、カフェにいたカップルはいちゃいちゃしていなかった。スマートフォンの先にいるそれぞれの人と仲良くコミュニケーションをとり、その内ドーナツを機械的に飲み込んでは、去っていった。シェリー・タークル(Sherry Turkle)の著書のタイトルがそうであるように、彼らは「共に独り」だった―少なくとも、画面と向き合っているときだけは。

シェリー・タークル「共に独り」(2011)

シェリー・タークル「共に独り」(2011)



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