「VS, x, ft., edit, &」▷中間領域:A or B(AでもあってBでもある、そしてAでもなく、Bでもない)

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1.トラックという切れ目

クラシック音楽のコンサート会場に行くと、曲、そして楽章ごとに切れ目が存在する。一曲終わって聞こえるのは、拍手の嵐、または沈黙の中に傾れ込む咳であろう。観客のこのような反応は作曲の段階では予期せぬものではあるだろうが、この切れ目を作ったのは作曲者である。それは楽章ごとの性格をはっきり分けるものでもあり、組曲の場合はテーマが異なったりする。勿論その色合いを分けても、時間的な空白として分けることがない場合も存在する。ヤン・シベリウス(Jean Sibelius)の〈交響曲第2番〉(1901)では、第3楽章と第4楽章が切れ目なく演奏され、イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky)の〈春の祭典〉(1913)のような舞台音楽も、流れに沿って曲が続けられる。しかしこのような曲はCDで記録され編集される時に、どうトラックとして分けられるかで、鑑賞方法も変わってしまう。その場合、第3楽章ははっきりと、ここまでが第3楽章です、という演奏時間を「与えられて」しまっている。ここでは切れ目がもともと無いものに、切れ目をつけているのである。レコードで聴くとそれはスムーズに聴こえるかもしれないが、CDで売り出されるとき、トラックごとに切れ目が入れられることで、線的な流れは躍動感に満ちたシャッフルの可能性へと繋がる。

Igor Stravinsky, The Rite of Spiring, 1913

2.トラックとしてのアイデンティティ

一週間に一回、多くのDJはRadioとして1時間ほど音楽を紹介する。HardwellのHardwell On Air、Oliver HeldensのHeldeep RadioといったDJは勿論、レコード会社もまた同様のRadioを公開する。自身のニューリリースや他のDJ、さらには(それこそ`「ラジオの視聴者投稿のように」)リスナーのリクエストや、若手プロデューサーより応募された中から一曲を選び、紹介することもある。紹介の場は拡大してゆくと、ダンス・ミュージック・フェスティバルにおいても同様と言える。DJたちは多くの人の前で曲を流す。ライブ公演の場合も同様に、そこで音楽は流れ、鑑賞者はそれが時間芸術であることを、再度確認することが出来る。聞いていると流れるように曲が変わり、ヒット曲の場合には曲が変わると歓声が上がる。そこで曲はAからBへと変わっているのだが、聞いていてAとBの間に切れ目が生まれていないことがわかる。先ほど取り上げたシベリウスの曲やストラヴィンスキーの曲は、もともと切れ目がないものに切れ目を入れたものであるのに対し、DJのRadioでは「もともとの」切れ目がつながれている。この言葉に違和感を覚えるかもしれないが、例えばTiëstoのUltra Music Festival Miami 2017のライブ・パフォーマンスを聴くと、確かに曲は基本的に―DJがマイクを持って呼びかけない限りには―繋がっている。しかしこれはシベリウスの交響曲で第3楽章と第4楽章がつながっているのと、また異なる性格である。つまりここでは、別個の曲が融合していきながら切れ目を無くしていっている。この点で、DJたちが自身の曲を「トラック」と言っている点は大変興味深い。シベリウスの交響曲を切り刻んだトラックは、今では独立的に存在しつつも、他の曲と融合できるアイデンティティを獲得した。

3.A or B(AでもあってBでもある、そしてAでもなく、Bでもない)

このアイデンティティは、アートワークが一曲一曲として書かれていることからも確認できるように、とても独立的に見えるかもしれない。しかし、Radioやライブで線的に流れる時、トラックは他のトラックとの融合しながらプレイされ、移ろいを見せる。先に述べたTiëstoのパフォーマンスを見てみることにしよう。このパフォーマンスで個人的に印象深い移行段階は、公式映像の22:40から23:10までの箇所である。私が一目置いた移行段階は(当時は未発表音源だった)Pep & RashとD-Doubleによる〈Break Down〉、そしてCurbiとMestoによる〈Blur〉の間に生じたものである。互いの曲はリリースの日も異なれば、プロデューサーも異なる。この点で、この2つの曲は交響曲第2番の中の第3楽章と第4楽章の関係性とは異なることが分かる。私たちは22:48-23:04にかけて聴くことの出来る移行段階において、それぞれ前者をA、そして後者をBとしたときのAでもなければ、Bでもない、そしてまたAでもあって、Bでもある音を耳にすることが出来る。つまり音楽で移行の段階において、それぞれ異なる曲がAとBであったとすれば、我々はDJのミックスでA-Bを聞くことになる。一方のボリューム、その減少はグラデーションとなり、もう一曲のその増加と合わさる。この別個として生まれながらにして存在する切れ目が、どのようにつながれていくのか?この場合はボリュームとプレイ(再生)のタイミングであろう。例えていうのであれば、寒冷前線の図式である。徐々にAは下へと下がり音を小さくしてゆく。そしてBは徐々にボリュームを上げてゆく。このAとBの垂直な分別ではなく、斜線による移行段階に我々はその妙なる調和を耳にすることができる。その鑑賞方を本に例えるとするなら、AというページとBというページのあいだのエッジを聞いていることになる。別個の曲は、線的な流れに合わさるように、曲同士合わさるのを確認できる。

最後にもう一つ、この中間領域、つまり一種の移行段階を楽しむことのできるプロモーション・ミックスを紹介したい。(そしてこの移行段階は、移行前と後を聞いてこそ、より楽しむことができる。)

                                                       [ … 19:12 – 19:27 … ]
Ummet Ozcan & Tiësto, What You’re Wainting ForWiwek & Gregor Salto ft. Stush, How It Goes

                                                [ … 21:28 – 21:58 … ]
Wiwek & Gregor Salto ft. Stush, How It GoesTJR  ft. Savage, We Wanna Party

                               [ … 22:44 – 23:13 … ]
TJR  ft. Savage, We Wanna PartyMike Williams, Sweet & Sour

                     [ … 43:08 – 43:38 … ]
Ummet Ozcan, SpaceCatsNom De Strip, Juno

           [ … 45:46 – 46:13 … ]
Nom De Strip, JunoZonderling ft. BISHØP, Keep On

(editor K4ø)

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