「VS, x, ft., edit, &」▷回顧主義(?)

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▷回顧主義(?)

1.一致しない郷愁

懐かしむ時代がとても増えた時代になった。自分が過ごしたことのある時代だけでなく、多くの記録物に触れることが出来るようになって、その時代に憧れを見出すことも出来るようになった。もちろん音楽の場合、過去からの伝承の形は様々だった。民謡のように口頭で伝承されたり、また楽譜のように記録され伝えられたりと、流動的だった。しかし、それらは時代の変化、そして科学技術の進展と共に異なる形で伝承されることになった。それはフリードリヒ・キットラー(Friedrich A. Kittler)が『光学的メディア(Optische Medien)』で触れているようにテキスト、つまり文章によってとって代わって記録された時代から、映像やレコード、CDといった、テキストではない記録物への変化(力関係の変化とでも言おうか)である。触れることの出来なかったものに物として触れられ、そして今日に至ってはマウスポインターのクリックで触れる時代が到来し、それらの登場によって私たちは自分の過去だけでなく、それより遥か以前まで楽しめることができ、またその時代を憧憬の対象として見れるようになった。今日、私を含む多くの人は私のいなかった過去、そして過去の空間に触れ、その過去の中に懐かしさや愛おしさを感じるようになった。一致しない郷愁というとでも言おうか、そこから私は生まれたことが無いのにも関わらず、その時代、その空間に憧れを抱くことが出来るようになった。

Sherrie Levine, After Walker Evans: 4, 1995

Sherrie Levine, After Walker Evans: 4, 1995

2.Remix, Rework, Sampling

それまでの芸術、特に美術史における動向の中には過去のモチーフを用い、アプロプリエーション(appropriation, 借用)という形で表現の方法を探究したことがあった。シェリー・レヴィーン(Sherrie Levine)はウォーカー・エヴァンスの写真をカメラで撮り、それを自分の作品として発表した。ここで過去のモチーフは表現の表現としてレヴィーンの作品に登場する。(プラトン的に言うと、レヴィーン作品は、イデアから一番かけ離れたものと言えるかもしれない。)オリジナリティの価値に疑問を投げた彼らとは異なり、過去のモチーフは一方でオマージュとして表れることもある。それは―ニコラ・ブリヨー(Nicolas Bourriaud)が著作『ポスト・プロダクション(Postproduction)』(2002)で述べたように―貶めるべくそうした訳ではない。今日EDMを聴くと昔のフレーズが頻繁に耳にできるが、これも風刺や批判とは異なり、むしろ一種の憧憬のようなものに近い。マーク・ロンソン(Mark Ronson)がTEDのトークショーで話しているように、サンプリングは彼らが怠けてそうした訳でも、またはオリジナルのメロディに頼った訳でもない。そして今日、サンプリングだけに限らずReworkやRemixの場合、またそのような表記が無い場合にも同じことが言えるだろう。Mr. Belt & Wezolは〈Boogie Wonderland〉を2016年に発表したが、この原曲に当たるEarth, Wind & Fireの〈Boogie Wonderland〉は1979年に発表された。他の例を挙げると、2006年に発表されたRockfellerの〈Do It 2 Nite〉は1980年に発表されたSOS Bandの〈Take Your Time – Do it Right〉を、そして更に2015年にはそのRockfellerのものをRemixしたLucas & Steveの〈Do It 2 Nite〉がSpinnin’ Recordsから発表された。自身のテイストを付け加えたり、または過去の音楽にインスパイアされることによって、それは替え歌とはまた異なる継承の仕方を見出している。

3.NEW-RETRO

歌の伝承や継承そのものが、完璧なる繰り返しではなく、替え歌もまたオリジナルの継承と破壊を同時に伴ってきた。メロディラインをそのまま残しつつ、歌詞が変わり、言葉が変わり、バージョンが刷新される。音楽そのものは、それこそ音楽が「流れる」という表現がしっくりくるように、流動的である。今日に至るまで、テクストではない記録物の継承によってオリジナルの継承と破壊の可能性を提供してきたのも、この音楽が元来備えている流動的な性格によるものと言えよう。先ほどまでの例がそうであるように、記録物にサンプリング、Remixなどといった形で手を加え、今日の音楽は音を取り入れ、編集を行うことで新しく古いものを継承している。だがそれは、楽譜や口頭継承による受け入れ方とは異なっている。受け入れる側が音楽をどのように聴くようになったか、それはレコードからカセットテープ、CDを通してであり、そしてこれらの音源を操ることの出来るコンピューター・プログラムの発達に基づき、編集の可能性が見出されたのである。今日私たちは、当時生まれてなかったにしてもGigi D’Agostinoの〈L’Amour Toujours〉(1999)メロディに歓喜することもあれば、Tiëstoが手を加えた(edit)Dzeko & Torresの〈L’Amour Toujours〉(2015)に歓喜することもある。後者はきっと、Gigi D’Agostinoに歓喜したに違いない。この点でDzeko&TorresのMVは示唆するのは、原曲のGigi D’Agostinoの時代とテレビの時代である。画面上のフレームのサイズが自由にいじれなかった昔、ブラウン管の形に美的な関心を抱いていた人は果たしてどれほどいただろうか?動画共有サイトに現れたその形は、今日から投げかけた過去への眼差し、つまり憧憬である。しかし、それでもこの憧憬は現代的なものであり、一方的に過去へ逆戻りしようとする態度としての回顧主義とは異なることに注目する必要がある。

(editor K4ø)

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