まとめ

**阿部共実:月曜日の友達**

月曜日の友達

阿部共実の新作〈月曜日の友達〉を、それまでの作品と比べながら5つのキーワードで分析。

〈月曜日の友達〉は、阿部共実のそれまでの作品の集大成になっているように思われる。しかしながら登場人物や背景といった共通点で挙げたら、それはいくらか類型学に陥ってしまう。女性も出てれば、学生も出てきて、団地やアパートも登場する。今回の分析では、表現が如何にしてストーリーを際立て、読者へ如何にその内容を伝えているか、に注目を置きたい。つまりキーワードをもとに、一種の方法論とも言える側面に着眼し、説明をしていきたい。今回は、あくまで〈月曜日の友達〉の場面場面をなるべく画像で紹介しない方向で語ろうと思う。それは、まだ読まれてない読者のためにも、そしてストーリーから抜け出た「ひとコマで」伝えることに、限界があるためである。

 

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1.顔の無い表情

阿部共実の作品で頻繁に登場するイメージ、それが顔の無い表情である。〈空が灰色だから〉の2巻に収録された〈金魚〉では、最後、主人公が後ろを向いたまま笑っている描写が行われる。しかし、そこで表情は読者の方に向けられていない。笑った表情を人間と同じ様に返すことの出来ない金魚が、それを見つめていることになる。表情が表れないことは、表情が無いこととは全く異なる。つまりここでも、キーワードは「表情の無い顔」とは意味が異なる。表情はそこにあるのであるが、読者にとっては確認が出来なかったり、〈死に日々〉の〈7759〉のように、黒く塗りつぶされた形で表れている。そこには感情移入を促す表情が、はっきりと表れていないことで、読者はもどかしさを時々覚えるだろう。〈月曜日の友達〉では最後、死んだ兄と火木が出会った時、そのキャップ帽と顔が読者に向けて描かれているシーンが印象的である。ここで幽霊、つまり事故で亡くした兄の表情は、一切かかれないままこちらを向いている。このシーンでは、兄の表情を思い起こすと同時に、彼が既に現実に存在しないことを表している。

〈空が灰色だから〉第2巻より〈金魚〉〈空が灰色だから〉第2巻より〈金魚〉

2.フィルム的な

〈月曜日の友達〉では場面ごとに、読者の読むスピードが調整される。同じシーンを些細な違いで繰り返し描くことで、スムーズに話へ引き込まれる流れが止まり、そうすることで読者はより時間性を感じながら鑑賞できる。〈月曜日の友達〉では第2話で描かれる海辺のシーン、また第6話の前編を読むと、水谷が風に吹かれるシーンが同じ構図で描かれているのがわかる。まるでカメラワークが一定のシーンを捉えたまま、フィルムをひとつひとつ読むように鑑賞できる。またこれは、一つの連写のように人物やストーリーの流れ/動きをスローモーションのようにコマに表している。この特徴は〈空が灰色だから〉2巻に収録された〈信じていた〉の最後のシーン、4巻収録の〈マシンガン娘のゆううつうつうつうつうつうつうつうつうつうつうつうつうつ〉、そして5巻の〈飛んで落ちて死んで〉などにも表れる。特記する点として、〈月曜日の友達〉ではフレーム内の変化に「光」が加わることによって、単純にフィルム的ではなく、「映画的」な効果として表れている。

〈空が灰色だから〉第2巻より〈信じていた〉〈空が灰色だから〉第2巻より〈信じていた〉

3.内面的独白

内面的という修飾語を加えたのは、それが口に出されないまま、ふきだしの中で心境として綴られるからである。よって、その場面を描写している演出的な独白とは異なる。感情的な表現が図面に表れるのとは異なり、内面的独白は文字によって強調され読者に伝えられるため、見えるもの(感情表現・行動・仕草など)と見えないもの(抑えられた気持ち・自己省察など)との緊張が感じ取れる。これは、死に日々の2巻に最後の方に収録された話との関連性が一層深い。〈8304〉などを読むと、主人公は自分の気持ちを噴出しでしか表せていない。つまり自分自身の内に塞ぎこんだ形でしか、思いを口に出来ていない。時に詩的とも感じられるその表現は、主人公と読者しかその言葉が聞けないこともあって、とても内面的に感じ取れる。よって、主人公の気持ちに近づけると同時に、思いをめぐらす時間の流れを読者が共有することにもなる。この表現が〈月曜日の友達〉では頻繁に登場する。夢から覚めた後、月野と夜空を駆け巡った後、そして月野と口を聞かなくなったシーンで、淡々と水谷は自身の気持ちを綴っていく。それは純粋な気持ちを「おもてへ」さらけ出す中学生女子とは対照的に、浮き沈み無く台詞でも書き記すことで、自己省察の重要な手段となっている。

〈月曜日の友達〉〈月曜日の友達〉

 

〈死に日々〉より〈8304〉

4.反復・反芻

〈月曜日の友達〉の第4話の台詞にも出てくる、「思い出を嚙む」という行為、それは後ろ髪を自らひくように仕向ける行為である。それは自分の今の位置を過去から手繰り寄せる、一種の現実逃避の手段とも言えるだろう。〈月曜日の友達〉では具体的な台詞が繰り返されないが、この台詞でわかるとおり、現在の状況に心地よさを感じていない者の心境が窺える。〈大好きが虫はタダシくんの〉でも、主人公の女子高生が今現在の学校での立場を言えず、ずっと同じ会話調の言葉を繰り返すシーンが最後にまた現れる。しかし、ここで言う反復・反芻が必ずしも過去の事実と一致するわけではない。つまり、現在の自分自身への補償として機能する場合がある。〈空が灰色だから〉の〈今日も私はこうしていつもつまらなさそうな顔してるあいつとつまらない話をして日を過ごしていくのだ〉で、主人公の女子学生は思い出を繰り返し述べている。しかし、これは彼女自身の叶わなかった、もしくは未だ叶っていない現状を補うために、繰り返しインプットしてきた/されてきたものである。現在の私をどう留めるか、それは事実であれ作られた嘘であれ、繰り返しを伴っている。

写真5:大好きが〈大好きが虫はタダシくんの〉

5.沈黙

〈空が灰色だから〉第1巻より〈空が灰色だから手をつなごう〉〉〈空が灰色だから〉第1巻より〈空が灰色だから手をつなごう〉

〈空が灰色だから〉の1巻に収録された〈空が灰色だから手をつなごう〉では、最後に母親の泣き声は聞こえない。それを伝えているのは、娘の短い台詞である。母親も娘も同じ空間にいるにも関わらず、漫画における描写で母親の動作や声は聞こえないままである。このように、沈黙する主体は、他の描写によって支えられる場合が多い。それはどこか、フォーカスのために場面を一色で塗りつぶす感覚に似ている。そこで主人公は存在はするが、発話の主体ではない。主人公は演出的に表現することもなく自然なままの状態で、周りの表現によって支えられている。〈月曜日の友達〉で印象に残るシーン、つまりカット一つに多くの魅力が感じられるシーンは幾つかある。その中でも個人的に好きなシーンは、放課後の昇降口で学生達が傘を開くシーンである。このシーンでは雪が降っていて、学生達の喧騒はこの降り積もる雪に消されているかのように、ひとことも表れない。それによって、水谷の気持ちが一層際立てられているところがポイントである。

〈月曜日の友達〉〈月曜日の友達〉

最後に、余計な憂慮をしてみたい。〈月曜日の友達〉を読み終えた後、私は何故か寂しくなってしまった。それはストーリーを噛み締めたからかもしれないが、その一方で、冒頭にも述べたように、この作品がそれまでの阿部共実の作品の集大成として感じられたからである。それは今後の作品がどのように描かれるのか、これ以上の作品が出るのか、という些細な心配である。もちろん全てを詰め込めばいいという訳でもないが、筆の揺れる(わざと)拙ない描写が、私としてはまた見てみたい。

〈ちいちゃんはちょっと足りない〉〈ちーちゃんはちょっと足りない〉

 

死に日々(死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々)はちょっとここで読めたりっ。笑

試し読みどうぞ!⬇︎⬇︎⬇︎

http://tap.akitashoten.co.jp/comics/sinihibi

 

『尚、単行本1巻は発売中、2巻は来年2月23日発売予定だそうです!』

『私は買います。』

 

(editor K4ø)

 

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