美術館の透明な壁、趣味家のショーウィンドウ

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4. 待ったでしょ?

圧縮と膨張

圧縮と膨張

一時使われていたものに新しい価値を見出し与えるのが、博物館だ。これを表す作品がジェフ・クーンス(Jeff Koons)の〈New Hoover Convertibles, New Shelton Wet/Drys 5-Gallon Doubledecker〉 (1981 – 1987)だ。この作品で掃除機は機能を拒否され、ガラスで出来たケースの中に展示されている。この作品を買う人は、掃除機を買うのではなく、機能を除去された掃除機、そしてそのような博物館のメカニズムを手に入れる。博物館のガラス扉の中にある物たちは、機能としての価値より歴史的な記録物としての価値になり、美術館の場合はある芸術的価値と美術史的価値を与えられる。《趣味官》で紹介された「物たち」は、様々な価値ををそれぞれ抑えられた状態として、観客達を出迎える。あるものは作品で、あるものはコレクションで、またあるものは、リビングにぴったりの時計だったりする。しかし、それらはショーケースの中で同等の状態、つまり展示され鑑賞される価値のみを与えられて陳列される。だが同時に、それだけでなく所有されることを待ち望んでいる物としての暫定的な可能性(ら)をも含んでいる点で、共通してもいる。

それらは一般的な美術館の場合とは異なり、単なる見世物としてその場に「ずっと」置かれるわけではない。ここ趣味家を訪れる人々は、もし買いたいものがあれば、それを購入でき、ゲットすることが出来る。物に触れることが出来ないよう遮っているそのガラス戸が、その時にようやく開かれる。芸術家達の作品や様々な物が紹介され、様々な価値を発見し、与える点においては、《趣味官》もまた博物館や美術館となんら違いはない。しかし、それらをどのように受け入れるかで違いが見出せる。ただ視覚的に鑑賞されるものとしてではなく、「SOLD OUT」の文字や実際にその場で購入のやりとりを見ることが出来るこの空間は、陳列棚に置かれた数々の物に所有する可能性を与えたまま―誰が買っていくかも、実際売れるのかどうかも分からない物たち、そして買いたいという言葉に応対する職員たちまで―全てがスタンバイの状態である。

ユン・ヒャンノ

ユン・ヒャンノ

対象―作品、コレクション、グッズ、などなど―の受け入れ方が、購入に基づく所有と結ばれることで、数々の物は手に触れることが出来るようになる。ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben)が述べる「世俗化(profanazione)」、つまり美術館、そのガラス扉の中で拒否された「使い、用いること」の可能性を人の手に握らす可能性として、展示《趣味官》は存在するように思える。(先にも述べたように)この可能性、つまりスペースに並べられた作品が「備えた」様々な価値を取り戻すためには、所有する行為が求められる。ここで、ユン・ヒャンノ(윤향로)の作品に用いられた「待ったでしょ?(기다렸지?)」という言葉がより意味深に思えてくる。ここで物たちは実用性の価値をはじめ、人間の救いの手を求めながら、その瞬間を待ち望んでいる。ショーケースの前で人はこう言うだろう、「待ったでしょ?」

紺野優希

*この文は2017年11月9日にINTERLABに掲載された内容を翻訳するに当たり、一部修正・加筆を行ったものです。原文「미술관의 투명한 벽, 취미가의 쇼 윈도우」 (http://interlab.kr/archives/3865)

*「3. 石は口を開くことはない」のみ2018年4月7日に作成。

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