まとめ

美術館の透明な壁、趣味家のショーウィンドウ

昨年2017年10月13日~11月10日にかけて、ソウルの趣味家(Tastehouse)で行われた《趣味官》(TasteView)では、多くの芸術家の作品やグッズが、会場のショーウィンドウの中に並べられた。この「異質な」展示について、昨年筆者の書いた内容に付け加える形で、日本語で紹介したいと思う。

1. 透明な壁の先に:不能となった用途と新たな価値

キム・ミンギョン(김민경) <T-cup set>キム・ミンギョン(김민경) <T-cup set>

博物館に行くと、多くのものがその空間で並べられ紹介される。はるか昔、実際に使われていた器や装飾を見て、観る者は珍しがり、その過去の様子を頭の中に描いたりするだろう。そのような物品の横にある説明文を見て、それがいつ、どのような目的で、そして何の材料で作られたか(科学的根拠に劣らない、研究者の熱意の込められた推移による)内容を確認できる。勿論多くの場合、それらはガラスのこちら側から見ても多くの人がその用途を推し量り、把握することが出来る。ここでよりはっきりしているのは、それらのものがいまや歴史の「記録物としての」価値を備え、私たちがその「用途」に近づくことの出来ない状況という事実だ。

それらのものは実用的な価値を失い、代わりに歴史的な価値を与えられる。ここで鑑賞者と物品の間に、ひとつの透明な壁―この言葉は実質的な意味であると同時に、また比喩としても適用できる―が存在する。博物館の場合、鑑賞者は二重の意味で物に近づけない。物理的に近づくことが限られていて、また既にその用途に会った使い方が出来ないという点で、二つの接近不可能性を挙げることが出来る。この場合、鑑賞者は本当の「鑑賞者」となる。見ることのみを許され、所有することも使うことも禁じられたまま、ものに与えられた「新たな価値―記録物としての価値」を彼らは「目撃」する。

これは博物館だけでなく、そのもとは同じ単語の美術館(museum)にも該当する。「お手を触れないでください」と「見るだけにしてください」という文字と、近くにあまり来れないように床に引かれた白い線(この際ロープでもいい)が鑑賞者との距離を生み出す。ただここで美術館と博物館の違いを述べるとすると、前者の場合、実用性を拒まれることが一層少ないという点だ。美術作品は展示されることでその場所から実用性を取り除かれたというより、他の美術史的な、または美的価値を獲得する。つまり、もとから実用性を拒む場合がより多いという事実だ。

 

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