まとめ

**阿部共実:月曜日の友達(2)**

3)イメージ、そして詩的描写力

台詞の無いカット、そして状況描写は、心境描写とストーリーの構成要素ではあるものの、構築要素ではない。つまり、それらは共に作品―つまり漫画として―の構成要素であって、心境描写が静止画に、そしてストーリーが状況描写に直接的に統制や主管をするものではない。これらの自己主張が強くされていないイメージは、ジャック・ランシエールが(Jacques Rancière)「解放されたイメージ」で分析するように、描写と叙事、絵画と文学との役割交換を可能にさせる。フローベールの文学作品でなされる描写―睡蓮の葉に乗った、一匹の昆虫、など―が絵画的な要素だとすれば、それはストーリーへと連鎖する。(彼の分析する)「物思いにふけるイメージ」が受動と能動を定めていないように、阿部共実の静止画としてのカットや、状況描写は、ストーリーや心境描写と因果関係ではない形で繋げられる。詩的描写力と筆者が分析したのも、それが詩「的」であるがゆえに文学と視覚芸術の二重のレイヤーに適応することが出来、またなによりも、詩的描写力によって、それが文学にも、また美術の両者を「月曜日の友達」という「漫画」に結びつけることが出来ている。一方は状況描写で、そして他方は説明も台詞も無いカットで、読者にその世界を想像をかきたてている。よって、阿部共実の作品は「ストーリー」として、つまり文学的側面でも魅力的であるが、同時に視覚芸術としての表現としても、その魅力を伝えていると言える。この両側面から見ない限り、「月曜日の友達」が漫画である必要はなくなってしまうだろう。

 

(K4ø)

 

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