まとめ

断想:批評のプラットフォームとは《와우산 타이핑 클럽》(Part 3)(副題:ぷらっと、プラットフォーム)

3. 重量・規格オーバーのパレット

ワウサン・タイピング・クラブワウサン・タイピング・クラブ(와우산 타이핑 클럽)のホームページ

さて、最後に批評の話に戻ってみよう。ここで言うプラットフォーム、それは一種のパレットのように思えるかもしれない。その上にいろんな人が乗って自らを運び、作者や展示について移動した場所で語る。しかし、それは工場で行われるような、規格どおりに運ばれることとは異なる。その上に載せてもいい大きさや重さは、予め決まっているわけではない。どれくらいの高さまで、とか、どれくらいの大きさはここまで、という決まりが無いため、ワウサンのメンバーはそれぞれ関心のある分野の展評をすすめている。共通する事実は、その「コンテンポラリー」というプラットフォームの上に乗ることを望んだ、という点だけだ。MMCAで行われた韓国80-90年代の建築の展示について書く人もいれば、映像作家キム・フィチョン(김희천)の個展、または写真家の圧縮と膨張(압축과 팽창)について書く人もいる。

これだけみると、まとまりがないと思われるかもしれない。しかし、そのまとまりはプラットフォームという次元でのまとまりであって、その記事の内容まで束縛する訳ではない。よって、その許容値、つまり「はみ出た部分」まで許諾してくれていて、それこそがプラットフォームの生かし方ではないかと思う。よって、それは型とは異なる概念である。その余った部分までむしろ大切に考え、それを一つの多様性という良さとして私は捉えている。プラットフォームの上で、それぞれ皆は異なる方向を向いていて、不特定多数の人のもとに記事が届けられている実情を見ると、共通項目がなんら無いように思えるかもしれない。しかし、コンテンポラリーという共通点と、SNSやウェブ上により実質的に設けられたプラットフォームという土台の上に乗っている。なので私としては、そして多くのメンバーがそうであったように、そのお互いの好みや書き方(勿論可読性に基づいてのことだが)の違い、それだけでなく私自身が感じ取った「異質さ」をキャッチし、それを見つめることのできる、とてもありがたい場となっている。そして、コンテンポラリー・アートの多様性を多様性として括れる、そのようなプラットフォームとして「ワウサン」は「型」ではなく、サイズも重さも許される「パレット」として、これからも続いていくだろう。

(K4ø)

 

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